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Interview

日本酒から地元古河を盛り上げたい。
地元に愛される酒蔵の若き女性専務が抱く想いとは。

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2015年2016年と立て続けに世界規模の大きな品評会で最高賞を獲り、「御慶事(ごけいじ)」という日本酒のブランド名を世界中に広めた酒蔵が茨城県古河市にある。江戸時代から180年以上続き、地元に愛される青木酒造株式会社だ。「ただ美味しい」ではなく、歴史や文化、背景まで含めて日本酒を知ってもらいたいと語る、若き女性 青木知佐専務。ともに働くスタッフと日本酒への熱い想いを伝える為に走り続ける理由を聞いた。

創業が江戸時代ということですが、今は何代目になるのでしょうか。

青木専務

1831年創業で、父の青木滋延が7代目です。

主にご家族で経営されているということですが、ご家族以外のスタッフの方もいらっしゃるのでしょうか。

青木専務

はい。酒づくりは基本的に冬に行われるのですが、うちの場合は11月から4月までの半年間です。この期間中、「蔵人」と呼ばれる職人さんが4名住み込みでお酒をつくりに来てくださり、3名が配達や出荷の準備で手伝ってくれています。

20152016年と、立て続けに大きな賞を獲られていますね。

青木専務

IWC2016SAKE部門」で純米吟醸酒最高位のトロフィー賞をいただいた商品は、茨城県の酒造好適米といわれる「ひたち錦」と茨城県の酵母「SYS酵母」を使ってつくった「御慶事 純米吟醸 ひたち錦」です。「御慶事」とはうちのブランド名で、この商品は看板商品でもあります。この商品自体は以前からあったもので、賞を獲る為に新たに商品開発をしたということではありません。以前からつくっていた商品を東京方面の鑑評会やコンペティションに出品したところ、20152016年に立て続けに大きな賞をいただくことができました。「いいお酒をつくっているという自負」はありましたが、賞をいただけたことでわかりやすくなり、本当にありがたいことですね。

鑑評会やコンペティションへの出品のみならず、様々なイベントにも出られていますよね?

青木専務

うちのお酒は東京都内どこでも買えるわけではないんです。なので、様々なところで「試飲販売をさせてください」とお願いをし、お声掛けいただいた際に、例えば東京駅の酒屋さんで3日間お酒を納品して、販売させていただくということがあります。茨城県内でも水戸等でイベントがありますので、呼んでいただいて出展することもあります。これからは新酒が出るシーズンですので、4月末までの週末はイベントがたくさんありますね。

新酒とは?

青木専務

日本酒は、秋に取れたお米を使って冬に仕込んで、春先に新しいお酒を出すということを1年間繰り返しています。なので、ここ1年間で出ている商品も今ここに瓶詰めして出てくる商品も、前回の冬につくったお酒なんです。そして新しくできあがったお酒が順次切り替わっていくという形で、新酒お披露目のシーズンがまさにこれからなんです。なので、この時期に合わせてイベントが多くなるのです。

受賞されたことにより、呼ばれる回数は増えましたか?

青木専務

そうですね。私がこの酒蔵に戻ってくるまでは人手が足りず、外に立って営業できる人がいませんでしたので、呼んでいただいても行けないこともありました。そういったところに応えられるように、今は呼んでいただいたイベントには参加させていただくようにしています。

青木専務は23歳でこちらの酒蔵に戻ってこられたと伺いました。戻って来られた経緯を教えてください。

青木専務

実家に戻って仕事をやろうと、意気込んで戻ったわけでは全然ないんですね。弟がいるので弟が継ぐという風な話がありましたし、当時私は看護師をしていました。と言いますのも、学生時代は日本酒になじみがないし、実家が酒蔵と言ってもまわりの反応は「ふーん」からそれ以上はないんですね。しかし社会人になると年上の人とかかわるようになってきて、実家が酒蔵と言うと「戻らなくていいの?」とやたら言われるようになって、私自身「実家特殊なことしてるんだな」と思うようになりました。そのタイミングで父と母親から「戻ってこないか?」「手伝ってみないか?」と言われ、「やたら最近言われるし、嫌だったらまた看護師に戻ろう」と思い実家に戻ることを決めました。

戻ってみると思いの外、非常に皆さん期待もしてくれて評価もしてもらえて、やりがいも見つかって楽しいなと思うようになりました。

戻ってこられたとき、1番やりがいを感じたところはどこですか?

青木専務

正直、戻ってきてすぐは「戻らなければよかった」と思いました(笑)。丸2年看護師をして辞めたんですけれども、辛い1.2年目を乗り越えて業務を一通り理解できるようになって、これから応用しながら仕事をしていくというタイミングの3.4年目で、同期がすごく楽しそうに仕事をしている姿を見て「羨ましい」と思いましたね。仕事場での人間関係も、休日に遊びに言ったり旅行したりする姿を見て、「もうちょっとやればよかったな」という風に思うこともありました。

そういうときにやりがいとして1番感じたのは「若いのに戻ってきて偉いわね」と言ってくれる地元のおじいちゃんおばあちゃんですとか、東京方面のイベントに呼んでいただいた際に「ここのお酒うまいぞ」「お姉さんのところのこのお酒とこのお酒はこういう違いがあるから」と日本酒に愛のあるお客さんが指導してくれたことです。お客さんに教えてもらって、さらにそれを評価してもらって、その評価の場をお客さんに見せることができて、という形で、私に期待してもらってる分恩返しできてるかなと考えるようになりました。今は看護師に戻ることは考えていないですね。

家族経営ですとオンとオフの境目が難しいと思いますが、ご家族内での決め事等はありますか?

青木専務

社長は基本的に自分の意見がすべて正しいというスタンスではなく、話を一旦私に戻してくれます。私も基本的に自分で決定する部分、決定判断していいと思う部分は判断しますが、そうではない部分はやはり社長に相談します。コミュニケーションは、まめにとっていると思いますね。

酒蔵に戻ってこられる前と後で、ご家族の印象は変わりましたか?

青木専務

まず実家に戻って思ったのは、お酒業界のことを知らなかったし興味がなかったので、「こんなに難しいことをやってたんだ」「こんなに複雑なものをやってたんだ」と、すごいなと思いました。

あとはお互いにだと思うんですけど、意見がぶつかったときに「意外と言うんだな」と思ったと思います。家族に限らず他のスタッフとも、正直に意見を言い合うことは多いですね。

正直に意見を言い合える距離感なんですね。

青木専務

そうですね。杜氏の職人さんの「こういうお酒にしたい」という思いや製造面としての意見、蔵としての経営、販売、様々な面のすり合わせは、規模感が小さいこともあり、より密にやっていますね。その都度その都度意見交換するような感じです。

話は変わりますが、青木様は「二才の醸(かもし)」というブランドの3代目でもありますよね?

青木専務

はい。もともと埼玉県の酒蔵の社長さんが当時20代で業界最年少社長をやられていたときに、「20代だって酒はつくれる」ということで立ち上げたブランドが「二才の醸」でした。その方が30代になるタイミングで「20代でつくる」というコンセプトから外れてしまうので、そのブランド名を新潟県の酒蔵へ譲ったんです。新潟県でつくられていた方も30歳になるということで、私のところへまわってきました。2018年冬からうちの蔵でつくってきたお酒を20194月に発売予定です。

一緒につくられているスタッフの方々はどこから集められたのでしょうか?

青木専務

うちの蔵で20代は私しかいないので、ほかのところから探しました。「ふくまる」という茨城県産のお米を使ってつくっている同じ名前の「ふくまる」という商品があるのですが、その農家さんが学生さんを受け入れていたので相談したところ「日本酒に興味ある学生いるよ」ということで、つくば大の学生さんを4名紹介してもらい、サポートメンバーになってもらいました。あとはフェイスブックで「20代でお酒つくりたい人いませんか?製造の体験してみませんか?」と呼びかけをして集まった一般の人ですね。

うちの「二才の醸」の場合は、「20代の一般の人も巻き込んでつくる」というニュアンスでやっておりますので、私が30歳になる来シーズンまで2年間つくる予定です。

完成まで大変だったのではないでしょうか?

青木専務

そうですね。まず仕込みを始める前につくば大に私が行って話し合いをして、その後はグループラインでやり取りをしました。

地元古河の農家さんで田植えと稲刈りから始まり、仕込み、ラベル貼り、出荷準備等、10回以上はみんなで集まって作業をして、最終的に製品になったという感じです。

今後は東京と茨城でリリースイベントを行います。

一般的に酒蔵というと力仕事が多いイメージあるのですが、スタッフさんはやはり男性が多いのでしょうか?

青木専務

多いですね。うちは女性は3人のみで、蔵仕事は基本的に男性がやっています。しかし、一般の方がイメージしているよりも、酒蔵で働いている女性は多いと思います。以前は「女の人は蔵には入るな」ということもあったのですが、今はもうありません。今は跡継ぎの問題もあり、酒蔵で働く女性も多いですね。

スタッフさんの入れ替わりはあるのでしょうか?

青木専務

ほとんどないと思います。今うちで働いてくれているスタッフの中には、勤続4050年という人もいます。昔から知っている80歳過ぎのおじいちゃんおばあちゃんが手伝ってくれているという酒蔵も多いと思います。

新しい人を募集することはあるのですか?

青木専務

新卒ですぐ入るというのはなかなかない業界だと思いますので、そこは特殊だと思います。今年は若い30代の方がスタッフとして1人入りますね。その方は以前も別の酒蔵で働いていたそうなのですが、地元に戻ってきたタイミングで、入社希望で飛び込みで来てくださったんです。

最後に、今後の展望を聞かせてください。

青木専務

「製品が美味しいから買う」だけではなく、「美味しい」は当たり前として、背景の青木酒造の人たちのファンになってもらえるような売り方をしたいと思っています。

日本酒は普通の飲み物と違って、プラスαで文化や歴史があり、製品として成り立っています。住み込みで働いてくれる職人さんがいて、お米を何kgも担いで、冬は寒いですし夏は暑いですし、決して今風の仕事ではないですから、一生懸命やってくれているスタッフの様子を飲む人に伝わるように話しています。商品を置いているだけでは絶対わからないことも直接会って売れば伝わると思いますので、イベントはできるだけ行こうと思っています。

1番魅力的だと思うのは、「御慶事」をきっかけに古河に足を運ぶ人が出てくることです。「御慶事が美味しい」「御慶事のお姉さんが一生懸命話してくれて、古河は意外と近くて電車で1時間だから、日帰りで遊びに来てくださいって言ってたな」というところから興味を持って、「酒蔵を直接見に行ってみようか」というところに繋がれば1番ラッキーだと思います。電車で古河におりて、駅の近くでお昼を食べて、少しふらっとして、蔵でお酒を買って帰ってくれるという風に繋がってくれたら、地元の商売として1番魅力的なことです。

今までのタンクイメージ。

今までのタンクイメージ。

50年ほど前に新たに追加したタンクは、2階から作業ができる形に。

50年ほど前に新たに追加したタンクは、2階から作業ができる形に。